活動報告
東日本被災地報告1
東日本大震災視察
できるだけ時系列的に書きながら、私見を述べる。
6月5日(日)
岡山→東京→仙台→福島
仙台に向かい、新幹線の車窓から屋根にブルーシートをかけている民家が多くなってきた。
仙台よりバスに乗り宮城県との県境で福島県の北端の新地町へ向かう。
途中の車窓から臨むと、高速道路を挟んで海側が津波により被災されており、高速道路が一つの壁の役割を果たしたことがわかる。
新地町では加藤憲郎町長、佐藤清孝副町長、村山正之教育長から現地説明を受けた。
仙台から50キロ、福島第一原発からも50キロに位置し、南北海岸線6キロ、東西8キロ
人口8182名で、漁業と火力発電所(石炭積タンカーが座礁し、二つに船体が割れていたが、近く1機が再開予定)に従事する方が多い。
日頃から毎年津波対策の防災訓練を行っており、津波警報ではJR常磐線まで、大津波警報では役場まで逃げることとなっていた。(今回はそれ以上逃げなくてはならなかった。海岸には6.5メートルの堤防、県道、JR常磐線、中心に役場、国道と数百メートルの間隔で南北に所在していたが、国道を超して浸水した。)
ちなみに、岡山県では地震が起きた場合に、震度4以上で緊急班員の指定、5強以上で全職員に集合要請ならびに対策本部設立ということであるが、津波に対しての規定はない。
地震後、防災無線・有線放送にて全戸に津波警報を発令。第一波は20分程度で到達したが、難は無かった。約一時間後第3波が到達、約16メートルの高さで、黒い壁(海底の汚泥を巻き上げるため)が襲ってくるようで、国道以上に津波が押し寄せた。
500世帯が被災され、2400名が避難生活。95名が亡くなり、当時129名(当日現在18名)が行方不明。
第1波から第3波まで約一時間あったため、住民の一部が薬や貴重品を取りに戻ったところ、被災にあっているケースが多かったとのこと。
すぐさま、自衛隊の派遣を受け、人命救助、行方不明者の捜索(青い三角旗は人がいない、赤い三角旗は可能性あり)などの応急救援活動の開始。4月末まで。5月から民生支援や復興支援に傾注し、6月19日(100日)合同慰霊祭をもって終了。
民生支援(給水、給食、巡回診療、人員・物資輸送、防疫など)
復旧支援(瓦礫・廃材等の除去・運搬・集積)
ボランティアについては、当初対処できず、4月半ばから町外からのボランティアの受付を開始したが、自己完結型の方のみ受け入れ。
インフラ復旧は道路、電気、ガスの順に早急に行われたが上・下水道は未だ普及されていない。JR常磐線は復旧のめどが立たず整備して道路として使用。
避難所については仮設住宅が整備済みで町内の方はすべて、6月10日を目途に入居できる環境であるが、仮設住宅に入ると自ら生活をしていかなくてはならなくなるので、3食
配給を受ける方が良いといわれる方もいる。尚、基本的にコミュニティ単位での入居を推している。
今後の予定として、新地町の復興に関し、6月1日から復興対策室を立ち上げ復興計画を年度内に作成、JR常磐線以西の地域を重視して復興構想をたてる。
その下固めとして、行政区長会議(町議会を含む)の開催や、住民アンケートを実施してきている。
現 地巡回(当日は0.21マイクロシーベルト)をしてみると、やはり気になるのが異臭。ホコリ、液状化、瓦礫の山積。中には丘の上の一軒家に3隻の漁船が宮 城県から流されてきているが、排除できず(車両についても同様)困っている。又、地元漁協の建物は倒壊しているが、漁船は無事に係留してあり、様子を聞く と、34隻すべてが津波に全速で真正面から向かい1隻だけ損出したが、33隻は無事であったとのこと。尚、垂直に向かい波の頂上に達した時にバックギアに いれるのが、漁師仲間の言い伝えであり、功を奏した。瀬戸内海の漁業関係者はご存じないのではないかと思う。ともあれ、災害は一瞬ではなく、その後の生活 にまで影響する事は間違いない。
このたび東北地方沿岸500?が壊滅状態であるが、国策として復興を早急に遂げなければならない。又そのためには課題も山積である。
- 集積された瓦礫の撤去(2490万トン)
- 2)再建不能と思いながら、解体される自宅を見ている親子(2重ローンの問題)
- 3)補償と仕事(義援金のルール)
- 4)心の問題(PTSD)
- 5)震災孤児の問題
- 6)今後の日本のエネルギー
・再生可能なエネルギーの開発
・送電の考え方
・新型原子炉の開発(より安全な原発 EX>トリウム溶融塩炉など)
・核融合など
- 7)他国(中国・韓国・ロシアなど)の原発建設にも携わり安全文化(フランス)の確立
- 8)小中高での防災教育・耐震化
- 9)災害時要援護者の問題(安全確保・医療従事者・薬品の確保等、市町村との連携)
- 10)避難所への経路表示板(夜間でも視認)防災マップの改訂
- 11)ボランティアの問題(ボランティア休暇の延長)
- 12)キャッシュ・フォー・ワーク(被災者に対し、日払いで復旧作業をしてもらう)の確立
以上
追記 岡山県においても可能な限りの人的物的支援を行ってきた。
消防防災ヘリコプター「きび」も15名の救助、44名の救急搬送も購入において難関があったが、このように活躍できたのは喜ばしく思う。
又、民間企業では、地元三井造船が英断を下し、「TSL」という小笠原諸島向けの定員750名を被災地に送り出し、1泊2日で被災者のホテル代わりに利用し、絶賛を受けている。
24時間体制で、クルーの方のご苦労や、給水・排水・燃料などご苦労があったに違いない。
東海・東南海・南海の地震が3連動することを想定し、地震・津波・高潮など考えられるすべての最悪状況を考え、一人の人命も失わないよう努力しなければならない。それには
国民一人一人の危機意識が必要であることも間違いないはずだ。